東京大学大学院理学系研究科附属植物園

小石川植物園について

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植物園の概要

植物園

東京大学大学院理学系研究科附属植物園は、一般には「小石川植物園」の名で呼ばれ親しまれており、植物学の研究・教育を目的とする東京大学の附属施設です。

この植物園は日本でもっとも古い植物園であるだけでなく、世界でも有数の歴史を持つ植物園の一つです。

約340年前の貞享元年(1684)に徳川幕府が設けた「小石川御薬園」がこの植物園の遠い前身で、明治10年、東京大学が設立された直後に附属植物園となり一般にも公開されてきました。 面積は161,588m²(48,880坪)で、台地、傾斜地、低地、泉水地などの地形を利用して様々な植物が配置されています。
この植物園は日本の近代植物学発祥の地でもあり、現在も自然誌を中心とした植物学の研究・教育の場となっており、特に東アジアの植物研究の世界的センターとして機能しています。 植物園本館には植物標本約80万点(植物標本は、東京大学総合研究博物館と一体に運営されており、全体で約190万点収蔵されています)、植物学関連図書約2万冊があり、内外からの多くの植物研究者に活用されています。
園内には長い歴史を物語る数多くの由緒ある植物や遺構が今も残されており、国の史跡および名勝に指定されています。

栃木県日光市には、1902年に設立された「日光分園」があり、東京では栽培の難しい山地植物に関する研究・教育が行われております。
この植物園も一般に公開されており、「日光植物園」の名前で親しまれています。
なお、日光分園の公開期間は4月1日から11月30日であり、冬期は一般公開をしていないことに御留意下さい。

小石川御薬園

小石川御薬園

小石川植物園の敷地は承応元(1652)年に館林藩下屋敷が設けられたところで、白山御殿と呼ばれ、幼い藩主松平徳松の居邸でした。

徳松が5代将軍綱吉となった後、貞享元(1684)年に、現在の南麻布にあった幕府の南薬園が廃止され、白山御殿の敷地の一部が新たに薬園とされて「小石川御薬園」と呼ばれるようになりました。8代将軍吉宗の享保6(1721)年に御薬園が御殿地全体に拡張され、面積約4万5千坪のほぼ現在の植物園の形となりました(地図参照)。

御薬園は御番医師の木下道円が管理していましたが、芥川小野寺元風と交代しました。さらに享保の拡張にともない、精子発見のイチョウのすぐ西側あたりを境として、西北側半分を芥川小野寺、東南側半分を岡田利左衛門が管理することとなりました。

それぞれの屋敷には御薬種干場(乾薬場)があり、園内で生産された薬草を干して調整するために用いられていました。 岡田利左衛門の管理地内には享保7年12月(新暦1723年1月)に施薬院(養生所)が設けられ、享保20(1735)年には青木昆陽によるサツマイモ(甘藷)の試作が行われました。 御薬園は時代とともに衰退し、幕末の頃には5千百坪にまで縮小しました。 しかし、明治維新により「大学病院附属御薬園」として東京府の所轄となるにあたり、ほぼ享保時代の敷地に復活されました。

園長挨拶

園長

2021年4月より東京大学大学院理学系研究科附属植物園の園長を務めます、川北篤と申します。微力ながら、植物園の発展のために精一杯努めてまいります。

私が2018年4月に植物園に着任してから現在までの3年間は、植物園にとって大きな変化の時期でした。小石川本園では新温室の公開が始まり、日光分園にはフィールドステーション棟が新設されました。また、スタッフの雇用により、展示解説の充実やタイムリーな情報発信が実現しました。これらは多くの方々による植物園への温かいご支援によるものです。心よりお礼申し上げます。

東京大学の附属植物園は、日本を代表する研究植物園として、日本の植物多様性研究を牽引してきた長い歴史があります。今後も私たちの植物の見方を変えるような新しい研究・教育を展開していきます。また、植物とふれあう憩いの場、学びの場として、多くの方々に親しんでいただける植物園づくりを目指します。課題は山積みですが、変化の歩みを着実に進め、一層の発展に向けて活動してまいります。今後とも皆様のご支援をよろしくお願い申し上げます。

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